夢を持つ人、不安に押し潰されそうな人にASKAの曲を聴いてほしい。

先日覚せい剤の所持、および使用の容疑で逮捕された昭和を代表するヒットメイカーASKA

数々のミリオンヒットや日本のレコード史に残る華々しい記録。そんな彼の一面を知る人達は逮捕の一報を受けて大いに驚き、ショックを受けたかもしれない。

しかしASKAも人間だった。むしろ人一倍の孤独を抱えていた。世間はヒットソングやシンガーASKAとしての顔しか知らない。

もう一度ASKAの隠れた名曲や、人一倍孤独で繊細な人物であったことを書きたい。彼の大ファンの一人として、また人生を変えてくれた感謝を込めて。

[朝の改札では大勢の人が流れて行く

カーテンを引いてベッドに転がる]

歌手というのは非常に不安定な職業。一発当ててもその後尻すぼみに消えて行く人々は大勢いる。まして一度名前や顔が知れれば後ろ指をさされ、「もう終わった人」だと笑われるかもしれない。そんな人一倍強い不安や孤独を感じる人でなければ、こんな歌詞は絶対に書けない。何か夢を持っていても”大勢の人”の姿を見ると不安や孤独に押し潰されて”カーテンを引き”たくなる。こんなに人の心の弱さを巧みに表現した歌詞は他でもないASKAにしか書けないのだ。

[月が近づけば少しはましだろう]

この一文も本当に孤独な人の姿がよくわかる。心を少しでもましにしてくれるのは人の言葉でも愛する人でもない。月なんてほとんどの人は見ていない、けれどそんな些細なことが心を楽にしてくれる。繊細な心をもった芸術家ASKAならではの美しい文章だ。

[全てが時計回りの中

はじき出された夢のかけらで

もしも僕が倒れたならば

君が愛を語れ]

君とは自分にとって愛するひと、または信念や志かもしれない。全てが時計回りの中、つまり順当に進んで行く人生。そんな流れに押し流されてはじき出される夢を自分が見失いそうになった時には、君が僕を支えてほしい。人は孤独で弱い生き物だから、君にそばで支えていてほしい。それが出来るのは君しかいない。人の心に寄り添う至高の愛の歌だ。「君が好きだから一生一緒に居よう」なんていう安い歌には描けない、恥ずかしいほど一途な男がここにいる。

僕も夢を持つひとり。みんないつだってひとり。

酔って書きたくなってしまったから、アイデアも文章もまとまっていない。

[どうしようもないくらいの

情けないくらいの

小さな自分のこと誰もが知った朝]

引用に用いた楽曲は、いずれもASKAによる

「月が近づけば少しはましだろう」

「君が愛を語れ」

アメリカ詩専攻が考えた、自由な思考を持ち続ける方法

いま僕は大学でアメリカ詩を専攻しています。

ウォルト・ホイットマン、エミリーディキンソンと言われてもなかなかピンとこないかもしれませんが、そういう方々が書いた詩を読み、考えます。

「作者は社会の弱い人々の言葉を代弁している。」

「実はレズビアンだった。」

「ここの部分は作者のコンプレックスの表れだ。」

というように色々な推測をしながら、詩の世界を広げていきます。

 

基本的にどんな読み方をするかは、読者の自由です。これは詩に限った話ではないかもしれませんが。

だからたとえば、「クレインの詩が短いのは、うんこを我慢していたから」という推測をしてもいいわけです。だって「私はうんこはしたくない」とは書いていないんですから。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f4/SCrane.JPG/220px-SCrane.JPG

Stephen Crane

 

みなさんクレインの詩って読んだことありますか?大方の人は名前もすら聞いたことがないと思います。

フルネームはスティーヴン・クレイン(Stephen Crane)といいます。なんだかすごく暗い雰囲気の作品が多いです。でもその独特な雰囲気が妙にそそる不思議な詩人です。エドワード・ゴーリーとかにも通じる、ちょっと狂気じみた絶望を持っています。

 

さて、ここで質問。

日常生活で絶望を感じるのはどんな時でしょうか?

遅刻しそう。忘れ物をした。LINEでそんなに仲良くない人に電話かけちゃった。色々ありますが、一位に輝くのは「うんこが漏れそうな時」ではないでしょうか。

だから僕は声高に言いたい。クレインはお腹が弱く、いつもうんこを我慢していたから、作品が暗く退廃的になってしまったと。

詩の研究の世界ではこれでもいいわけです。ただこれをレポートにして、僕が単位をもらえるかどうかはまた別のお話ですが。

 

だらだらと話をしましたが、詩はどう解釈してもいいということがわかっていただけたでしょうか。

 

ところでみなさんは詩をしっかりと読んだ経験があるでしょうか?

国語の教科書をめくってみると、必ずいくつかの詩が載っていると思います。そのほとんどは、見開き1ページか2ページ程度と大変短いです。

そのため、解釈に使える情報量はとても少ないです。逆に言えば情報が少ない分、想像力を働かせるための「読みしろ」は沢山あります。

情報は少ない方が一つ一つの重みを増す性質があります。教室に入ってきた先生が授業、雑談をして、色々と話したあとで「実はペットのハムスターが死んだんだ」と言った場合。それから入ってきた先生が20分間沈黙を貫き「実はペットのハムスターが死んだんだ」と言った場合。先生にとっての深刻度の違いは明らかだと思います。

 

僕は小さい頃から、その詩を読むのが好きでした。詩を口に出して読んだ時のリズム感や響きもいいですが、一番魅了されたのはその詩を曲解することでした。ごく真面目な詩を読んで、ふざけた解釈をするのって結構創造的で楽しいことだと思います。

また同じく当時ハマっていたのが、絶体絶命でんぢゃらすじーさんというギャグ漫画。シュールで下品でふざけ倒している漫画です。それらの世界観が僕の頭の中でごちゃごちゃに混ざっていました。先ほどの例え話でうんこが出てきたのは恐らくそのせいです。

 

そんなアホな少年も成長し、やがて大学に入りました。専攻は文学です。ところがその後、教科書を読んだり授業を受けたりして違和感を感じました。

こいつの言うことって正しいの?

という疑問です。

詩を解説している教科書には、〇〇大学教授とか偉そうな称号を冠した方々の解説が乗せられています。授業はそれに沿って進み、学生もそれを補完するかのような意見を出します。そうすることでなんとなく意見は一つにまとまり、「イイ感じ」で授業が終わります。

 あれあれ、ちょっと。

詩の授業でうんこのこと話したらダメですか?

 

なんだか腑に落ちないような、モヤモヤするような気持ちを抱えて日々を過ごしていました。そこで気づいたことがあります。

それは、自分なりの意見や考えを持つことは、ちょっと不安で勇気のいることかもしれないということ。人と違うことに対する恐れ。読み方に間違いなんてないのに。

 

この不安や恐れによって、自由な思考は制限され、なんとなくみんなと同じような考えをするようになります。またこれを大いに助けているのがグーグル先生でしょう。彼に聞けばなんとなく基本的なアイデアをくれますから。

 

そんな人たちの議論なんて実りも何もないです。だって全部ググれば出てくるもん。

この言い回しどっかで聞いたなと思ったら、「グッドウィルハンティング」でロビンウィリアムズが同じようなことを言っていました。

 

「君から学ぶことは何もない。君の言うことは全部本に書いてあるんだ。」

 

ロビンウィリアムズが言うと、説得力が違いますね。素晴らしい。

求められているのは、知識を詰め込むことじゃない。オリジナリティ、つまり「自分が何を考えたか」が大事だということです。

 

クレインの詩を読んだ100人のうち99人が宗教問題を挙げた中で、うんこの話ができる人になりたい。

 

ということで結論です。

 

ググるのをやめて、自分で考えよう。

 

あと、詩を読もう

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました。